ゾンビは最高だ、と器官なき身体は歌う
1947年11月28日、アルトーは器官に対して宣戦布告を行う。神の裁きと訣別するために。「私を縛りたければそうするがいい、だが、器官ほど無用なものはないのだ。」(ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ著『千のプラトー 資本主義と分裂症』308頁)
アルトーによるこの宣告に呼応するように、ウィリアム・バロウズは『裸のランチ』で以下のように述べる。
人間の身体はまったく腹立たしいくらい非能率的だ。どうして調子の狂う口と肛門のかわりに、物を食べるとともに排泄するようなすべての目的にかなう万能の穴があってはいけないのだ? 鼻や口は密閉し、胃は詰め物をしてふさぎ、どこよりも第一にそれはそうあるべきはずの肺臓にじかに空気孔を作ることができるはずだ......(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』185頁)
最近はと言えば体調不良に悩まされ続け、その不安が重く精神にのしかかる日々が続いている。数年前に過呼吸の発作を起こしてからというもの、自分の身体は信頼できるものではなくなった。要は「意識」と「身体」が分裂し、身体は意識の管理下に置かれ常に監視されていなければいつその不具合を引き起こすかわからない状態なのである。そうしてバロウズが述べるように、役割として固定された己の身体を構成する非能率的な器官を恨むのである。ドゥルーズとガタリは「器官なき身体」を獲得するにあたって取り払われるべきなのは意味性と主体化の集合であるとしている。「器官なき身体とは卵である」という言葉にあるように、未分化の「卵」のような流動性や未確定性を獲得したいと願うばかりだ、そうすれば身体から、延いてはこの社会から生じる不安も消えるのではないか......。
厚生労働省が毎年発表している「自殺対策白書」によると最も多い自殺の動機(特定可能な中で)は「健康問題」である。そのほとんどは「うつ病」であるが、自分はパニック障害による過呼吸を患うまで「うつ病」というものをあまり理解していなかった。当時、頻発する過呼吸の発作に耐えきれず、初めて心療内科で診察を受けた日のこと、パニック障害はうつ病を併発することが多いから気をつけろと言われた。しかしすでにいつ発作が起こるかわからない、何が発作の原因となるのかわからないというこの病気に対する恐怖心は生活の質を著しく低下させており、仕事、遊び、移動、睡眠、あらゆる物事において「不安」を頭の片隅に置くことなく実行することができなくなっていた。そうしてすべての歯車がかみ合わなくなり、夜も眠れず、精神も体も疲弊し、休日も抗不安剤でうつらうつらとすることが増えた。しかしそんな状態がマシとも思えるほどに発作の苦痛は酷く、これから先の人生、いつもこの苦しさと恐怖に耐えてゆかなければならないのかと考えたとき、はじめて「自殺」する人の気持ちが理解できた。生存しているという状態が苦痛でしかないというのはここまで苦しいのかと痛感したのである。その後は治療の甲斐もあって今では随分と復調したが、現在でも体調不良に起因する(頭痛、腹痛など)ストレスにより発作を起こしそうになることはある。むしろ冒頭で述べたように最近はまた悪化しつつある。ただそうした身体の不調と折り合いをつけて生きていかねばならない。
しかし最近みたNetflixのアニメ『ミッドナイト・ゴスペル』は最高だった。1話はゾンビ化してゆく人々から主人公たちが逃げる話なのだが、最終的に噛まれて自らもゾンビとなる。しかしゾンビ化した後の、穏やかな世界に歓喜して歌う、主人公は「器官なき身体」を獲得するのだ。
ゾンビは最高だ
やることもやられることもない
シンプルだ
僕らはゆっくりと動く
走る必要がないから
愛から逃げるのに走る必要があるかい
人生という檻の鍵を見つけた
ゾンビに噛まれることで
この世界を「檻」と捉え、死をそこから解放するための「鍵」と捉える。 別にいま死にたいわけではないが、こうして死がもたらす救済の意味について理解する体験を重ね、「死」そのものの否定性を取り払って生きることは悪いことでないはず......。
無職の幻想と生きている手応え
以下の文章はすべて、無職として親の脛を齧りながら生きていた数年前の話である。
「ビル・ゲイツやザッカーバーグのような大金持ちも鬱病になることはあるのか?」
朝4時過ぎ、真っ暗な部屋の中で朝日に照らされた窓が白くぼんやりと浮かび上がってくるのを横目に、何度も自問自答したその問いの答えを探す。しかし、ロラゼパムが効いてきた頭は明確な答えを見つけられず、吐き気に似た眠気が胸元からせりあがり、僕は眠りに落ちる。
無職時代に一番考えていたことは金と鬱病のこと。狭いベッドの上で冒頭のクエスチョンを何度も考えた。不謹慎な話だが、もしビル・ゲイツが鬱病だったら世界中の人々が救われるのではと考えた。鬱病のビル・ゲイツを見て、人々は「やはり金で解決できない物事がこの世にはあるんだ!」と歓喜の涙を流すのではないかと。しかしそんな期待とは裏腹に、いくらネットを漁っても資産家が鬱病を患っているという情報は少なかった。尋ね人は「金持ちの鬱病患者」、どこかにいませんか!僕は検索キーワードを書き換える度に暗い気持ちになった。
※ハリウッドスターが鬱病に悩まされた経験をインタビューで話している記事なんかは多かったのだが、それはそれで嫌な気持ちになった。彼、彼女らは演じることが仕事なのであり、そういった告白もキャラ作りなのではないかという疑念が募り信用できなかったのである
ある日、父の勧めで都庁の近くにある若者専用のハローワークに出向いていたときのこと、新宿中央公園を通りかかると胸ポケットに造花を差し込んだホームレスがリュミエールの解説本を読んでいた。この姿を見て、彼はニーチェで言うところの「君主道徳」なのだと感じた。彼らは物事の良し悪しという判断に外界を必要としないのだ。それに比べて自分は自分は外界に対する反動でしか自己の立ち位置を判断できない「道徳奴隷」だった。「この世界」という巨視的なスケールで物事を考えた際、関係性から断絶された「善悪」を判断できるようになるためには何が必要なのだろうか。それを見つけられない限り、自分は金だけではなく自己すらも消失してしまうのではないかという底知れぬ怖さに襲われたが、悠々自適な(のように見える)ホームレスの存在は金の有無が鬱病に関わらないのかもしれないという期待のようなものを感じさせた。
それから数日経ったある日のこと、この日はハローワークの担当者に「履歴書を書いて持ってきてね」と言われていたが、僕は約束をすっぽかして神保町の古本屋を徘徊していた。その帰り道、理由はわからないが僕はごく自然に信号無視をしてしまい車に轢かれかけた。耳をつんざくようなクラクションとドライバーの怒りに満ちた目によってなかなかに危険な事態であったと感じとることができたが、イヤフォンから垂れ流されている陽気なアニメソングのせいで事の深刻さが理解できないでいた。とりあえず気を引き締めるために既定の倍ほどのエスタロンモカ12を口中に放り込み、入手したばかりのウィリアム・ギブスンの「スプロール三部作」を小脇に抱え帰宅を急いだ。当初はレアな作品を入手できた喜びが何もかもを打ち消していたが、電車の中で改めて「ヤバかった......」という危機意識がずいぶんと遅れてやってきた。そして沈んだ気持ちのまま最寄り駅に到着し、人気のない地下道を歩いていると、反響する足跡が幾重にも重なって自分自身の輪郭を象ってゆくような感覚にとらわれた。こんな無職でも信号無視をすれば怒る人がいて足跡だってちゃんと響いている、それは安心感のような、情けなさのような曰く言い難い気分だった。
生きている手応えがあれば、きっと幸せになれた。
そのとき、ふと『かぐや姫の物語』でそんなセリフがあったことを思い出す。かぐや姫は都で優雅な暮らしなどせずとも、山奥で気の知れた仲間たちと過ごしたほうが「幸せになれたはず」と感じた。しかしそれはきっと貧しさや惨めさが多分に含まれた人生になったはずだ。要は「痛み(苦痛)」を受け入れることで「生きている手応え」を感じ取るのだ。まるで映画『ファイト・クラブ』のようじゃないかとも思った。殴り合ってボコボコにされて痛みに喘ぎ、生きている実感を得る、痛みが自分の輪郭を研ぎ澄ましてゆく。そうして僕の中でますます「働くべきじゃない」という気概が高まってゆくのを感じた。無職という立場がもたらす周囲からの痛々しい視線、将来の不安、積み重なる年齢と共に消える選択肢、そしてまたしても映画のタイトルが頭に浮かぶ。
『不安が魂を食いつくす』
そうだ、まさに不安が魂を食いつくそうとしている! 自分が日々感じているのは不安に噛り付かれた際の痛みとグロテスクな咀嚼音だ。
こうして僕は金と鬱病の関係、ホームレスや自分の存在が同一線上に並んだことでこれらの問いに対してある程度納得することに成功したが、次にやってくるのは「覚悟」の問題なのだとすぐに気がついた。その痛みに耐える「覚悟」である。かぐや姫は地球での記憶を消し去ったが、それはある種の「死」である。自分も好きなように生きて自死すればかぐや姫が望んだように生きることができるかもしれない、しかしそんな自分の幻想は『ファイト・クラブ』のラストのように撃ち殺されるべきなのだろうか。
この時はまだなにも決断していなかったが、現在の僕は会社員としてゾンビのように働いていることをここに報告しておく。
死刑とは何か。殺されなければならない囚人たち
絞首台まであと40ヤードくらいだった。わたしは自分の目の前を進んで行く囚人の、茶色い背中の素肌をみつめていた。腕を縛られているので歩き方はぎこちないが、よろけもせず、あの、インド人特有の、決して膝をまっすぐ伸ばさない足どりで跳ねるように進んで行く。ひと足ごとに、筋肉がきれいに動き、一掴みの頭髪が踊り、濡れた小石の上に彼の足跡がついた。そして、一度、衛兵に両肩をつかまれているというのに、彼は途中の水たまりをかるく脇へよけたのだ。
この記述はジョージ・オーウェルが当時イギリス植民地であったビルマで警察官として勤務していた際、とある死刑の執行に立ち会ったときのものである。少し長いが、死刑によってもたらされる生と死の深い断裂を的確な言葉で捉えているので引き続き引用する。
妙なことだがその瞬間まで、わたしには意識のある一人の健康な人間を殺すというのがどういうことなのか、わかっていなかったのだ。だが、その囚人が水たまりを脇へよけたとき、わたしはまだ盛りにある一つの生命を絶つことの深い意味、言葉では言いつくせない誤りに気がついたのだった。これは死にかけている男ではない。われわれとまったく同じように生きているのだ。彼の体の器官はみんな動いている━━━腸は食物を消化し、皮膚は再生をつづけ、爪は彼が絞首台の上に立ってもまだ伸びつづけているだろう、いや宙を落ちて行くさいごの10分の1秒のあいだも。彼の目は黄色い小石と灰色の堀を見、彼の脳はまだ記憶し、予知し、判断をつづけていた ━━━水たまりさえ判断したのだ。彼とわれわれはいっしょに歩きながら、同じ世界を見、聞き、感じ、理解している。それがあと2分で、とつぜんフッと、1人が消えてしまうのだ━━━ひとつの精神が、ひとつの世界が。
(『オーウェル評論集』より『絞首刑』から引用)
5年に1度、内閣府は死刑制度の是非についての世論調査を行っている。2020年の1月に最新の結果が出たが、前回同様で約8割の日本国民が死刑に賛成しているという内容であった。死刑についての情報がほとんど公開されておらず、「死刑とはなにか」をほとんど理解していない国民が大多数であるにも関わらずである。
哲学者の萱野稔人は著書『死刑 その哲学的考察』のなかで、普遍主義と文化相対主義において死刑のあり方を考察している。普遍主義とは文化的な違いをも超えた絶対的な正義があるとする立場のことで、文化相対主義とは文化によって価値観は異なるのだから「絶対的な正しさなどない」とする立場のことである。国際的には死刑は廃止されつつあり、ヨーロッパを中心に人権を無視した野蛮な行為だとしている。しかし、「死んで詫びる」文化は今の日本人にも強く根付いているようで、2002年5月に行われた「欧州評議会オブザーバー国における司法と人権」という国際会議において当時の森山眞弓法務大臣が「死刑は日本の文化」と発言し物議を呼んだ。ヨーロッパを中心とした死刑廃止の潮流を普遍主義だとすれば、死んで詫びるべきだとする日本は文化相対主義のものとにその道を突き進んでいる。そして国民の多くがそれを支持している。
透明性の高いアメリカの死刑制度
2008年5月6日に『文化放送報道スペシャル』として死刑執行時の音声が公開された。それは1955年に録音された古い音声ということもあって大部分は不鮮明かつ聞き取りにくいものであるが、死刑囚がそれほど緊張している様子もなく最後の一服をしながら刑務官と談笑している様子や、執行時の激しい落下音を聞き取ることができる。さらにそこから約2年後の2010年8月27日、当時民主党政権下で法務大臣を務めていた千葉景子により東京拘置所の刑場が報道陣に公開された。これにより、現在ではGoogleで検索をかけるだけで簡単に刑場の様子を見ることができる。しかし、刑務官すらもほぼ立ち入ることができないとされる教誨室や執行室が公開されるというのは衝撃的な出来事であった。※千葉景子は死刑反対の立場をとっている
では先進国では数少ない日本と同じ死刑存続国であるアメリカはどうか。結論、日本とは比べ物にならないほどに死刑の情報公開が進んでいる。NPO団体である『死刑情報センター(Death Penalty Information Center、通称DPIC)』では死刑に関する様々な情報が公開されている。そこにはアメリカにおける死刑の歴史、現在の処刑方法、死刑の抱える問題や今後の執行予定、過去の執行など掲載される情報は多岐にわたる。さらに州によっても情報公開は積極的に行っており、例えばノースカロライナ州(現在執行停止中)では死刑囚の顔写真、性別、生年月日、被害者の氏名、処刑方法(薬物注射、ガスを選択可能)やさらには囚人番号まで公開されてる。愛知県弁護士会の報告によると、執行は金曜日の深夜2時で、その週の火曜日になると死刑囚は執行室の隣にある監房に移され、2人の刑務官と共同で生活を始める。そこでは自由に生活が可能で、家族と最後の面会も認められている。
執行当日、午前1時になると所長が告げにきて、死刑囚は執行室隣のベッドに縛り付けられます。1時50分に執行室に入り、執行停止の有無を確認して、午前2時に、まず睡眠薬を注射し、次に呼吸障害を起こす薬物を注射します。その間、立会室のカーテンは半分閉め、死刑囚の顔は見えるが、刑務官の顔は見えないようにします。
執行の際は被害者遺族、マスコミ、弁護人、警察や検察など計16人が立ち合い可能となっている。ガラス越しに執行の様子を見届けるのだ。
※余談だが、WIREDには死刑囚の「最後の食事」を紹介した記事がある。 死刑囚が最後に食べたいものをオーダーできるというテキサス州の伝統であるらしいが、記事を見てみると案外普通の食事が多い。ここから見て取れるのは死刑となるような人物でも最後はごく「普通」の「日常」に立ち返ろうとする様子だろうか。もちろん最後に望む食事のメニューにまで猟奇的な雰囲気を醸している死刑囚もいるのだが......
なお、アメリカは現在、全50州のうち22の州で死刑を廃止しており16の州で死刑制度を維持、その他は法律上死刑制度を残してはいるが、執行が停止している状態である。つまり死刑が廃止されている州のほうが多い状態となっている。直近だとコロラド州が2020年7月より死刑制度を廃止したが、この時点で存命していた3名の死刑囚は刑が変更され終身刑となり、命拾いをすることとなった。
ブラックボックス化してゆく日本の死刑制度 戦後から現代
では日本の死刑制度はどうだろうか、それは戦後と現在では大きく状態が異なる。オウム真理教をテーマとしたドキュメンタリー映画『A』などで知られる映画監督の森達也は著書『死刑』の中で、一度死刑が確定したものの再審請求で無罪となった「免田事件」の免田栄へのインタビューを行っている。そこで語られる内容は現在では信じられない内容である。
免田栄は1948年の熊本県人吉市で起きた殺人事件(祈祷師の一家が標的となり、夫婦2人が殺害され、娘2人が重症)の容疑者として、事件翌年の1949年に逮捕された。1950年、熊本地裁で免田に死刑判決が下され、控訴するも福岡高裁はこれを棄却、さらに上告するが、最高裁はこれも棄却し、1952年に死刑が確定した。その後、自白の強要やアリバイが認められたことなどから再審請求が認められ、1983年に無罪が確定(一度死刑が確定し、その後無罪となるのは日本初のケースだった)するが、それまで34年6ヵ月もの間投獄されることとなった。その間、彼は死刑囚の仲間たちが次々に執行されてゆくのを目にしている。
執行の伝達はだいたい朝食後です。時間にしたら朝8時半くらいに20人ほどの看守が舎房に来ます。だから直食後の1時間か1時間半くらいのあいだ、死刑囚の舎房は、針を落としてもその音が聞こえるくらいに静かです。執行がないときの朝食後は運動の時間です。看守の『運動用意』という声を聞いたならば、冷たかった氷にお湯をかけたときのように、緊張がすーっと融けてしまう。自然と顔がほころぶ。運動場に行くために廊下に整列するとき、みんな笑顔になっています。
(森達也著『死刑』より引用)
仕事を抱える現代人は朝を嫌う。目覚めは、逃れようのない日常と対峙する瞬間だ。ベッドから身を起こし、徐々に輪郭を帯びてゆく意識は次第に不快なものとなり、低い音を立てて走る電車に揺られて労働者は運ばれてゆく。ただ、嫌な仕事が片付けば、その日の仕事が終われば、週末が訪れれば、ひと時の安堵を得ることがきでる。憂鬱も緊張も、生きている限りは一時的にせよそれらから逃れることができる。ただ、死刑がもたらす緊張にはその先がない。苦痛を乗り越えたその先の世界に、自分は存在しないのだ。ああ、苦しかった、これで毎朝身を削るような思いをしなくて済む......そう思うことすらもできない。苦痛がピークに達した瞬間に世界は途切れ、そこで終わるのだ。自分には想像もできない世界である。現にこのプレッシャーによって精神を破壊され、不眠や拒食症に陥る死刑囚も多いそうだ。
免田栄が投獄されていた時代は、死刑囚を縛る規則は今よりもずっと少なかったようで、確定死刑囚となっても手紙のやり取りや面会は署長の裁量に任されていた。つまり実質的にはほぼ容認されていたのである。また、信じられない話だが、死刑囚同士で野球チーム結成し、さらに慰問で訪れたプロ野球選手と対戦することもあったようだ。この頃は執行の伝達は数日前に行われていたこともあり、家族と最後の面会をしたり、前夜にはお別れ会が開催されていた。※前述した『文化放送報道スペシャル』でその時の様子を聞き取ることができる。しかし、1980年前後から死刑囚との交流にかかわる規則は強化され、面会のハードルも上がり(たとえ面会が認められても月に1回15分間で、面会者には厳しい手荷物検査があり、内部でのやり取りを記録することやメディアに公開することは固く禁じられている)、手紙のやり取りに関してもペンの色が指定されていたり、受刑者の手に渡る前に刑務官による中身の確認があるなど、無意味かつ厳しい規則のもとで行われる。さらに問題なのは確定死刑囚となった後にこれらが一切禁止されることである。当然野球など許されるはずもなく、死刑囚同士交流を持つことすらも禁止されている。あくまでこの措置は死刑囚の心情の安定を保つためだとか、刑務官の負担を減らすため(2020年現在確定死刑囚は110名)だとも言われているが、死刑確定後も面会や手紙のやり取りを希望する受刑者は多い。ジャーナリストや弁護側からしてみれば言わずもがなだが、被害者遺族からも交流を継続させてほしいと要望がでたこともある(大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件/名古屋保険金殺人事件など)。特に遺族が「なぜ事件を起こしたのか」という明確な回答を求めている場合、その答えがはっきりとしないまま、また反省の言葉を引き出せないまま犯人の死刑が執行されてしまった場合、これは被害者遺族の感情を無視していると言えるのではないだろうか。一切の交流を絶たせることが本当に多くの人のメリットになっているのだろうか。
自ら命を絶つ死刑囚
2020年1月26日早朝、前橋スナック銃乱射で確定死刑囚となっていた元暴力団会長の矢野治が拘置所内で首を切って死亡しているのが見つかった。確定死刑囚の自殺は平取猟銃一家殺人事件の犯人である太田勝憲が札幌拘置所で入浴中、剃刀で首を切って自殺した1999年11月8日以来である。
そもそも死刑の事前通告を取りやめたのは死刑囚の自殺を防止する目的があったと言われている。前述した免田栄の獄中ノートにも1975年、執行当日に自ら命を絶った受刑者に関しての記載があるが、記録と照らし合わせるとこれは福岡現金輸送車職員毒殺事件の津留静生と思われる。この事件は死刑を事前通告から当日通告に切り替えるきっかけになったものとされている。目前に控えた「その瞬間」に耐えきれなかったのか、それともその日その日の「朝」を乗り越える恐怖に精神が耐えきれなかったのか、戦後自ら命を絶った受刑者は4名ほど存在している。
もちろん各拘置所は死刑囚の自殺を防止するために様々な対策をとっている。単独での入浴も限られているし(週2回、1回15分)、部屋も監視されている。「どうせ死刑になるのなら別に同じじゃないか」と考える人もいるかもしれないが、彼らは国家が定める法の下に「殺され」なければならないのである。殺されなければ、それは「処罰」にはならないからである。
当日の朝
2018年7月6日、オウム真理教の元代表、松本智津夫(麻原彰晃)含め、教団の元幹部ら計7名の死刑が同時に執行された。午前8時41分、日本テレビが速報で「松本死刑囚ら死刑執行手続きを開始」と報じると、各局臨時特番の放送を開始。そして執行が行われたとの情報が入り次第、幹部たちの名前と顔写真がプリントされたフリップに「執行」のシールが貼られてゆくという異様な光景が繰り広げられた。ではその日、実際には何が行われていたのか。
死刑囚は午前7時に起床する。その後刑務官たちによる確認作業が行われ、7時25分より朝食となる。通常「執行」の通達が行われるのはこの朝食の直後となる。7時40分、食事を終えた松本智津夫は一息ついたであろうタイミングで刑務官たちの不気味に近づく足音を耳にすることになる。「出房」刑務官たちはそう彼に声を掛け、連行する。テレビで目にする過去の姿よりも痩せこけ、髪は丸坊主、自力で排泄もできずオムツを着用し、面会に来た娘たちの前で自慰行為を行うほどに精神に異常をきたしているような状態であったが、連行される際は「チクショー!」と声をあげたと報道されている。
「遺品や遺体の引き取りはどうする?妻や子供たちがいるんだろう」
「ちょっと待って」
「妻、長女、次女、三女、四女、誰でもいい」
「四女」
「四女でいいんだな?」
「......グフッ」
このようなやり取りをしたのが7時53分。執行が行われたのは午前8時と言われている。自らの死を告げられ、それに直面するまで僅か20分。彼は朝食を口にしながらこれが最後の食事になるかもしれないと考えたりしたのだろうか。松本智津夫は教誨を受けないとされていたのでその後はすぐに立たされ、白い布で目隠しをされたのだろう。あとはその闇の中で、死を待つばかりである。
死刑はその後、通常以下のような手順で行われる。教誨室の一角を占めるアコーディオンカーテンが開き、執行室が現れる。死刑囚は2人の刑務官に両脇を支えられながら執行室に足を進め、四角く縁どられた部屋の中央、とある地点で足を止める。その頭上には滑車が取り付けられており、そこからは先端が輪となっている白いロープが垂れ下がっている。死刑囚は目隠しをされているので目にすることはできないが、執行室の正面はガラス張りになっており、そこからは検察官、検察事務官、署長が立会人を務めることになる(第477条 死刑は、検察官、検察事務官及び刑事施設の長又はその代理者の立ち合いの上、これを執行しなければならない)。立ち合い室からは執行室とその地下が見渡せる作りになっているらしい。その後、体格の良い刑務官に手足を縛られ、最後にロープを首に掛けられると、後は合図を待つのみとなる。そして「押せ!」という号令とともに隣接しているボタン室に控えていた若い3人の刑務官が各々目の前にある黒いボタンを同時に押すと、激しい音を立てて死刑囚の立っていた地点の床が開き、その体は約4mほど落下する。4m、かなりの高さである。死刑囚の体は激しくバウンドするので、下で控えている刑務官がそれを受け止める。落下の加速度と自身の体重が一気に首へ集中し、甲状軟骨や舌骨、頚部脊椎が砕かれる。同時に首の筋肉や頸髄も断裂し、頭部と胴体を結ぶ神経の伝達は途絶え、一瞬にして意識を失うとされている。しかし絞首刑から生還した人間などいないので、それが本当かどうかは知る由もない。そして息が絶えるまで、30分間ただひたすら待つのである。
起床から1時間後、死の宣告から20分後、このあまりにもスピーディな執行は死の恐怖を和らげるためなのだろうか。余計なことを考えずに死へ身を投じることができるという優しさか、それとも贖罪のために必要な恐怖なのだろうか。
殺されなければ意味がない
先ほど述べたように、死刑囚は「執行」されなければならない。自殺は許されないのである。死をもって償うというのは、被害者遺族の手に代わって国家が死の鉄槌を下す行為である。「人を殺してはいけない」誰しもそう教えられるが、国はその権力をもってして罪人を殺める。一見矛盾しているようにも見えるが、多くの第三者は被害者遺族の心中を察してこの事実を「仕方がないことだ」と黙認している。この世界に生きる我々は悪人に対してそれ相応の罰が与えられなければ安心や納得ができないという感情を抱いているのだ。そうして罪人には自らに課せられた「死刑」という恐怖によって自らの罪を自覚し、恐怖に怯えることが必要とされているのである。また、その他の要素として、死刑は遺族にある一定の「区切り」をもたらす。つまり死刑の執行は傷を癒すために必要なある種の時間を与えてくれるのである。遺族は犯人と同じ空気を吸いながら生きることすら苦痛なのだから。
このようにして死刑は継続される。「国民の8割が死刑制度の維持を支持している」これは間違いなく民意である。しかし、それは死刑の実態を正しく理解してのことだろうか? 死刑の意味をちゃんと考えての事だろうか? それとも抑止力のことを考えてのことだろうか? 死刑囚の実態がほとんど公開されていないにも関わらず、声高に「死刑は必要」と言えるだろうか? 僕はあえてここで民意とは反するケースも述べておく必要があるように思える。それは罪を認め、改心した死刑囚と面会をした多くの弁護士、ジャーナリスト、そして場合によっては被害者遺族までもが「救ってあげたい」と口にしているという事実だ。面会を重ねる中で、犯人の心変わりを認めて死刑執行を取りやめるよう嘆願書を提出する遺族までいる、我々はその意味を考える必要がある。そしてそこにこの制度の課題があり、未来があり、答えがあるように思える。最後に、埼玉・熊谷4人拉致殺傷事件で死刑となった(執行済)尾形英紀の手記を引用する。ここから感じる正直な気持ちこそ、死刑という制度についての、各々の答えがあるように思える。
俺の考えでは死刑執行しても遺族は、ほんの少し気がすむか、すまないかの程度で何も変わりませんし、償いにもなりません。
俺個人の価値観からすれば死んだ方が楽になれるのだから償いどころか責任逃れでしかありません。
死を覚悟している人からすれば死刑は責任でも償いでも罰ですらなく、つらい生活から逃してくれるだけです。
だから俺は一審で弁護人が控訴したのを自分で取り下げたのです。
死を受け入れる変わり(原文ママ)に反省の心をすて、被害者・遺族や自分の家族の事を考えるのをやめました。
なんて奴だと思うでしょうが死刑判決で死をもって償えと言うのは、俺にとって反省する必要のないから死ねということです。
人は将来があるからこそ、自分の行いを反省し、繰り返さないようにするのではないですか。将来のない死刑囚は反省など無意味です。
(青木理著『絞首刑』より引用)
フォークナーが描くアメリカの暗部『八月の光』
耳をすましていると、その音楽の中に彼自身の過去を讃える声が聞こえるように思えるー彼自身の土地、彼自身の捕らわれた血に対する讃(ほ)め歌、すなわちそれは彼が生れて生きている土地の人々、何事をも争わずに喜びも破滅も逃避もできない人々への讃め歌なのだ。
(ウィリアム・フォークナー著『八月の光』より引用)
#BlackLivesMatter 通称BLM、『黒人の命は大切だ』、または『黒人の命を守れ』とも意訳されるこのハッシュタグが作られ、人種差別撤廃を訴える運動が巻き起こったのは今から7年前の2013年、フロリダで17歳のアフリカ系アメリカ人の少年トレイボン・マーティンがヒスパニック系の白人警官であるジョージ・ジマーマンに射殺された事件がきっかけである。そしてその運動はまたも白人警察官による過剰な拘束により圧迫死したジョージ・フロイド事件よってピークに達しつつある。そんな事件が巻き起こった当日、僕は偶然にもある小説を数年ぶりに読み返していた。それは「黒人/白人」というアイデンティティがもたらす差別と疎外を描いたフォークナーの代表作のひとつ『八月の光』である。
この物語はアメリカ禁酒法時代の1930年、南部にある架空の街ジェファスンを舞台に、見た目こそ白人だが『自分には黒人の血が流れている』と自称する男ジョー・クリスマスが黒人奴隷制度廃止を訴える一家の末裔であるジョアナ・バーデンを殺害し、屋敷に火を放ち逃亡するも捉えられ、リンチにされ殺されるという事件を中心に展開するとある4人(クリスマス、リーナ、ハイタワー、バイロン)の物語である。
僕はこの作品の最初の数ページを読んだだけでアメリカ南部の退屈で田舎くさい夏の風景や、目に刺さるような砂埃の感覚がリアルに感じられ、呆気にとられてしまった。それはこの作品が包含する込む虚しくも乾ききった風が一気に吹き込んでくるゆえのものである。
リーナがジェファスンにたどり着いたとき、物語は幕を開ける
アラバマから親切な人々の助けを借りながら何週間も歩いて旅をするハタチの若い妊婦リーナがお腹の子の父親であるルーカス・バーチを探して(リーナの妊娠を知り逃亡)ジェファスンにたどり着くところから物語は始まる。彼女が到着したその日、ジョアナ・バーデンの屋敷が焼け、黒煙が立ち昇っていた。物語はこの日を起点として様々な人の過去に、そして未来へと複雑に枝分かれしながら展開する。
リーナはお腹の子の父親であるルーカス・バーチがジェファスンの製版工場で働いていると聞きつけてその場所を訪れたが、そこにいたのはバイロン・バンチという似た名前の小柄な中年男であった。彼女は当てが外れて落胆するが、バイロンは彼女に一目ぼれをしてしまう。バイロンはなんとか彼女を引き留めようと、いま街で起こっている屋敷の火事について、そこに住んでいたバーデン嬢のこと、屋敷の離れにある小屋に住んでいたクリスマスとブラウンという男はつい最近までこの製版工場で働いていたことを話すが、話の特徴から彼女はそのブラウンと呼ばれる男がルーカス・バーチなのだと気付く。
クリスマスという男の過去
そして物語は過去へと遡る。この作品の中核となる、ジョー・クリスマスの出自についてである。親を持たぬクリスマスは孤児院で育つが、5歳のときにひょんなことから院内で栄養士を務める女性の情事を目撃してしまう。密告を恐れた彼女はクリスマスに黒人の血が流れていることを院長に吹き込む。こうして自らの血とアイデンティティめぐるクリスマスの戦いは早くも開始されてしまうのだ。その後、クリスマスは厳格なカルヴァン主義の夫婦に引き取られるが、教義問答を暗記できないと食事も与えられず養父に殴られるなど虐待を受けながら育つ。そしてある日、街で出会った給仕係の女(実態は娼婦)を相手に童貞を捨てる。それからは夜中にこっそりと家を抜け出してはその女に会いに行く日々が続く中で、彼は自分に黒人の血が流れていると彼女に告白するが、冗談を言うなと相手にされない。しかしある日の夜、クリスマスが女とダンスホールにいると突如養父が現れる。クリスマスが夜な夜な家を抜け出したことに気付き、後をつけてきていたのだ。養父は2人に対して『去れ!イゼベル!去れ!淫売婦め!』と激しく罵るが、それに激昂したクリスマスは彼を椅子で激しく殴打し、その場を逃げ出す。それからクリスマスは女と結婚してこの街から逃げ出す算段を立てたが、この事件の主犯として女の取り巻き連中からリンチにされた挙句、女にまで『畜生め!この阿保!あたしをこんな騒ぎに引き込んで、—あたしがいつも白人なみにしてやったというのに!白人なみにだよ!』と罵倒され見放されてしまう。そのようにして行き場を失ったクリスマスは放浪の日々を送ることとなる。
悲劇の舞台に立つ人々
ある日、空腹に耐えかねたクリスマスはジェファスンの大きな屋敷のキッチンに忍び込み、食べ物を漁っていた。養父を殴り倒し、放浪の旅に出てからは15年もの月日が流れていた。そこに住んでいたのはジョアナ・バーデンという40歳を過ぎた中年女性であったが、キッチンで盗みを働く浮浪者同然のクリスマスを見ても動じず、それどころか屋敷のはなれにある小屋までも住みかとして貸し出し、クリスマスと男女の関係に近い仲となる(バーデンはクリスマスと出会うまで処女であった)。それからクリスマスはジェファスンで製版工場の職を得て、同じく流れ者であるブラウン(ルーカス・バーチ、時期を同じくして製版工場で働き始める)を小屋に呼び込むと、共同生活をしながらウイスキーの密売も始めたのである。こうして放浪の日々は終わりを告げた。
バーデンは北部出身で黒人奴隷解放主義者の孫であり、彼女の祖父と兄はその運動のために殺されていた(北部の人間が南部で奴隷解放運動をするということはそれほどまでに価値観の相違があり、危険であることを示している)。そして彼女もまた『ニグロラヴァー』と呼ばれながらも黒人たちに対して熱心に社会的支援を行っていた。しかしバーデンはクリスマスと出会ってからというもの、性的な欲求や更年期により情緒不安定となり、次第に宗教へと傾倒し、クリスマスはそんな彼女から逃げ出すようになる。そしてついにある日、バーデンはクリスマスに銃を突きつけ、彼に黒人として生きる道を選び、自分の仕事のパートナーとなることを求めるとともに、神へ懺悔することを強要するのである。カルヴァン主義者の養父から宗教を理由とした虐待を受けていた経験から懺悔を拒絶したクリスマスはバーデンを剃刀で殺害し、屋敷を後にする。彼女の遺体は首が辛うじて繋がっている状態であった。当初は同居人かつ仕事仲間のブラウンも逃走を図ったが、犯人に1000ドルの賞金が掛けられていると知るや否や賞金欲しさに再び街へ舞い戻り、クリスマスが犯人だ、自分は賞金を受け取る権利があるのだと主張を始める。その後クリスマスは七日間の逃亡の末にモッタウンという街で捉えられジェファスンに連れ戻れ去るが、裁判の日に逃亡。逃げ込んだ先はハイタワーという街の人々から見捨てられた元牧師の家であったが、彼は後を追ってやってきた愛国主義者(白人至上主義者)の州兵に5発の弾丸を撃ち込まれた挙句、性器を切り取られ惨殺される。
クリスマスのアイデンティティをめぐる旅
わたしはハリウッドで最初の本格的な映画監督と呼ばれるD・W・グリフィスが撮った、『国民の創生』(1915)というフィルムを思い出した。南北戦争の直後に成り上がりの混血児が、白人の上流階級の美少女を襲おうとして、K・K・Kによって私刑にされ、少女は無事に救出されるという物語である。信じられない差別的な話だが、南部出身のグリフィスにとって、何の疑問でもない題材だったのだろう。
(四方田犬彦著『ハイスクール・ブッキッシュライフ』より引用)
クリスマスは養父を殴り倒した後、放浪の旅へと出るが、その過程のなかで象徴的なエピソードがある。彼の旅の行程は南はメキシコ、北はシカゴやデトロイト、そしてまた南部ミシシッピへと戻ってくるという道筋を辿るが、クリスマスがアメリカ南部で娼婦と一晩を共にする際、自分は黒人なのだと告げずにはいられない妙な性癖を抱くようになる。その結果として彼は激しく罵倒されるか暴力を振るわれるかどちらかなのであるが、対してアメリカ北部では『あらそう?』と大して気にも留められなかったのである。これは南北戦争を軸としたアメリカの分断を明確に示しているシーンと言える。奴隷の開放を目指して戦った北部と、奴隷存続のために戦った南部の違い、結果的にこの内戦では北部が勝利し奴隷制度は崩壊したが、南部の人間が黒人を見る目は簡単には変わらなかったはずなのである。しかし、クリスマスは自分が黒人だと告げても何の気ない態度を示す北部の女に激怒し、以後もその事実に長く苦しめられることになる。つまり彼は自分が黒人の血を持っていることが原因で苦々しい経験をしてきたわけであるが、その経験自体、自分自身を表徴するもの、つまりアイデンティティとして確立していたのだ。ただ実のところ作中ではクリスマスに本当に黒人の血が流れているかどうかは明確には語られていない。加えて本人もそのことが確証のあるものではないことを承知しているが、自分には黒人の血が流れていると盲信し、行きずりの人々に自分が黒人であると告白せずにはいられないその性癖を考慮するとクリスマスの抱えるアイデンティティの混沌さが見えてくる。それはサディスティックさとマゾヒスティックさを兼ね備えた暴力性とでも言えるだろうか。
しかし北部ではそんな混沌に満ちたアイデンティティさえ軽くあしらわれてしまったことで自分の人生の、これまでの歪な苦しみすらも否定された気になってしまったのだろう。北部のリベラルな空気はクリスマスを受け入れて救済するのではなく、アイデンティティを消し去り、存在を無に還してしまうものであったのだ。
尚、この章の冒頭で引用に使用した四方田犬彦氏の記述は100年ほど前の、アメリカ南部ではごく当たり前とされていた価値観を的確に表している。同時にそれはアメリカ南部に潜む闇の歴史でもある。つまりクリスマスが娼婦たちに対して『俺は黒ん坊だ』と告白した際の周りの反応は当時の南部ではごく当たり前のものだったのだ。それを踏まえると、彼が持ち得る暴力性は居場所の確保のためであるように思える。黒人にも白人にもなれないのであれば、そのどちらも破壊して自分だけの場所を確立するしかなかったのではないだろうか。
黒檀彫刻と似た女と夫婦のように暮らした。夜はベッドの中で彼女の傍らに横たわり、眠らずに、深く呼吸をはじめたものだ。彼はそれをわざとするのだ、自分の白い胸が肋骨の下でますます深く息を吸い込むのを感じ、見まもりさえして、体内に黒い臭気をーー黒人の暗くて不可解な思想や存在を吸い込もうと努め、同時に吐く息ごとに体内から白い血や白い思想や白い存在を追い出そうとしていた。
(『八月の光』より引用)
そのようにして『自分はやはり黒人として生きるべきなのだ』と自覚したクリスマスはとある黒人女と夫婦同然の生活を始めることになる。その日々の中で、彼は黒人女と寝る際は、己に潜む黒人の血を濃くすべく大きく息を吸い、そして自分自身から白人の要素を捨て去るべく大きく息を吐き出すが、彼女の体臭に耐えられず苦しんでしまう。白人たちからは黒ん坊と罵られ、いざ黒人として生きようにもそれは体が拒絶してしまう。黒人と白人、アイデンティティの狭間に揺れて居場所を見つけることができないクリスマスは疲弊してゆく。ただそうして破滅へと突き進むことで何物にもなれないクリスマスが何者かでいることができたのではないだろうか。
どのようにしてこの作品を読むべきか、作品が持つボリューム感とスピード感
余談であるが、僕は並行して複数の本を読むことには否定的である。ただ、机の上や本棚に積まれ続ける未読の本を横目にしては感性や知識に対する姿勢というものをつい考えてしまう。自分が思うに、読書という体験は張り巡らされた意識の網をくぐる行為なのであり、本を読み終えることではその網から(一旦)抜け出すことが許可されるのだ(その本が自分に与える影響を鑑みると、すっかり読み終えた後だとしてもその世界から抜け出せない場合は多分ある)。つまり本を読み終わらない限り、その網から抜け出せず、場合によっては絡めとられた状態のままになってしまう。つまり本を読みかけのまま放置するというのは思考のなかに常に消化不良の問題を抱えているという状況なのである。そして最近の自分はというとずっとその状態なのである。思考の断片だけが中途半端に散らばったままでありながら、それらが澱み、輪郭すらも失い始めてきたので「これは良くない......」ということで、2冊だけなら並行して読んでもOKとして自分の中にあるルールを改定するに至った。
そのようにして僕はフォークナーの『八月の光』を時にはメインに、時には別の本を読みつつ片手間にと1ヵ月半もかけてだらだらと読み続けていたのである。ただこの作品に至ってはそんな読み方をするべきでなかったと言える。総ページ数は700ページ近いかなりの長編である上、複雑な時間軸と技法としての『意識の流れ』を把握しながら読み進めるのはかなり骨のいることではあるが、それぞれの人物視点で描かれる物語そのものはシンプルであるし、細やかな感情の移ろいが描かれているので時間をかけて読むべき作品でないと言える。なぜなら中断時間が多くなると登場人物たちの感情の変化が掴みにくくなり、全体像がぼけてくるのだ。ただ、物語の佳境に差し掛かる頃になると読者を襲うのは呼吸すらも忘れてしまうような緊張感と計り知れない喪失感なのであり、それらは読書の中断を許容しない。否が応でも現実世界の時間を忘れ、作品に耽るしかなくなるのである。また、 昨今の世界情勢がそうさせているかはわかないが、数年ぶりの再読であったにも関わらず僕を襲ったこの作品の喪失感は以前よりも遥かに強いものであるように感じられた。
※また今回はクリスマスだけに焦点を絞ってこの記事を書いたが、別の機会にハイタワー牧師やリーナ、バイロンについても考察を行えればと思う。
ドナルド・トランプ vs Twitter 真実の裁定者をめぐる対立
トランプ大統領が怒り狂っている。事の発端は米Twitter社がトランプ大統領のツイートに「ファクトチェック(事実確認)」のラベルをつけたことだ。選挙において郵送での投票は不正を防げないのだと主張するトランプ大統領のツイートに対して「Get the facts about mail-in ballots(郵送投票についての事実を知ろう).」とのラベルを張り、リンク先としてCNNの解説へ誘導していたのだ。
There is NO WAY (ZERO!) that Mail-In Ballots will be anything less than substantially fraudulent. Mail boxes will be robbed, ballots will be forged & even illegally printed out & fraudulently signed. The Governor of California is sending Ballots to millions of people, anyone.....
— Donald J. Trump (@realDonaldTrump) May 26, 2020
このような米Twitter社の対応に関してトランプ大統領は「大統領選への介入だ!」と激怒、ソーシャルメディア等のプラットフォームに与えられた法的保護の一部を制限、または廃止することを目指す大統領令に署名した。問題のツイートから僅か2日後という恐ろしいスピード感である。
もともとトランプ大統領はSNSを「21世紀の公共広場」として民主主義を体現するための開かれた場所であるとし、通信品位法230条によりプラットフォーム事業者が公序良俗に反した内容の投稿を削除しても責任を負わないという大きな裁量権を認めていた。ただ、結果として、プラットフォーム事業者側が提供したくない情報については、削除しても良いと解釈できる状況が生まれてしまっていたのである。選択的な検閲を可能とするこの通信品位法230条に関しては大統領選における民主党候補のバイデン議員も過度な免責を与えるものだとして改正を公約に掲げるなどしているため、党を超えてこの動きに同調する可能性もあり、Twitter社は窮地に追い込まれかねない状況となっている。
Twitter社のCEOであるジャック・ドーシ―の意見は以下のようなものである。
Fact check: there is someone ultimately accountable for our actions as a company, and that’s me. Please leave our employees out of this. We’ll continue to point out incorrect or disputed information about elections globally. And we will admit to and own any mistakes we make.
— jack (@jack) May 28, 2020
ファクトチェック:会社としての行動に最終的な責任を負う者がいる。それは私だ。どうか従業員をこの件に関わらせないで欲しい。私たちは世界中の選挙に関する不正確な情報や論争のあるものを指摘し続ける。そして間違いを犯した場合はそれを認める。
この発言はTwitterがただのプラットフォーマーとしての「箱」でないことを示した形である。
では世間の反応はどうか、世論的には排外主義的なトランプの政策を非難する人々からは米Twitter社の判断は権力に怯まない勇気ある行動だと賞賛されている一方、表現の自由を脅かすものだとしてその行動を危惧する意見も多い。
※日本ではTwitter Japanが政府に都合の良い存在になりつつあると指摘し、その対比として政府に寄り添わない米Twitter社の対応を称賛する声もある。しかし立ち位置や主義主張は完全に逆とは言え、やっていることは同じ「政治介入」である。
しかしそんな中、トランプに思わぬ援軍が現れた。それはfacebook社のCEOマーク・ザッカーバーグである。ザッカーバーグはFOXのインタビューで今回の件に関して「私企業が真実の裁定者になるべきではない」と述べ、Twitter社の対応を非難した。
facebookという異端
リベラルな思想を信条とし、反保守的な色合いが強いシリコンバレー界隈ではfacebook社は異端の存在である。というのも役員を務めるピーター・ティールは熱烈なトランプ支持者であり、それは2016年の政権移行チームのメンバーにも選出されているほどの存在だからである。彼はいわゆるPayPalマフィアの「ドン」であり、facebook社の初期投資家であるので、その影響力は計り知れない。この事実に関して「facebook社は思想や信条にとらわれない主義」である故のものだとしている。結果的にピーター・ティールの存在という影はあるにしろ、会社としての主義主張を尊重すればザッカー・バーグの主張は多少のバイアスがかかっているが当然のものであるように思える。その事実を裏付けるかのように、facebook社はポストされたデマに対しては一切削除などの対応を行っていない。それは活動家であり電子フロンティア財団の創始者であったジョン・ペリー・バーロウが1996年に通信品位法に反対する表明として起草した「サイバースペース独立宣言」に忠実なものである。
我々が作りつつある世界はどんな人でも入ることができる。人種、経済力、軍事力、あるいは生まれによる特権や偏見による制限はない。我々が作りつつある世界では、誰もがどこでも自分の信ずることを表現する事が出来る。それがいかに奇妙な考えであろうと、沈黙を強制されたり、体制への同調を強制されたりすることを恐れる必要はない。
※しかしfacebook社は2016年の大統領選挙の際に5000万人もの個人データを流出させ、その上トランプ大統領へ有利になるよう利用されたという事件を引き起こしている。この事件そのものは第三者による不手際であるので一概にfacebook社による政治的意図を持って引き起こされた事件とは言えないが、一部の人々からは今回のTwitter社に対する発言は「ブーメラン」であると指摘する人もいる
※facebook社は230条の改定や廃止自体には反対の立場である
真実の裁定者など存在しない
最後に自分の主張をしておく。自分はTwitter社の対応が正しいとは思えので、全面的ではないがザッカーバーグの意見に賛成だ。
長らく日本のインターネットユーザーは思想を持たないとされていたが、近年は反体制派を主張するユーザーが増えてきている。そのような潮流もあってか、今回の米Twitter社の対応を称賛する声が大きいが、それはTwitterを反体制的な主張を示すアイデンティティの拠り所としてのツールと捉え、この事態を容認するというかなり危険な考えであると感じる。
一部の人々は「デマを容認してはならない」というが、それは「誰かがその情報がデマであるか否か、判断する必要がある」という言い換えになる。つまり誰かが「神」になる必要がある。それは誰か?そして今、Twitter社が「神」のように振舞おうとしている。果たしてこの状況は公平だろうか。デマであると判断できない人のために啓蒙を行うことはプラットフォーム事業者の役割として正しいのだろうか。自分はそうは思わない。真偽を判断するのは常に自分人身である必要があり、人は何が正しく何が間違っているのかを見抜くことを怠ってはならない。というのが僕の主張である。デマをデマと見抜けない人々に勝手な判断基準を設けさせる行為は将来的には思想誘導を可能にする危険な行為へと繋がりかねないのではないだろうか。Twitter社がやろうとしていることはトランプ大統領とTwitter社の位置関係を逆転させようとしているだけの行為に思える。これはもはや権力vs良識なのではなく、権力vs新たな権力の争いでしかない。
※トランプ大統領の通信品位法230条改定は「オープンな議論を約束するもの」としているが、表現の自由を権力で圧殺するような危険な方向へ向かいかねないことも補足しておく
ただ、Twitter社は議論を活発化させることに成功したともいえる。それは真偽を判断する力へ繋がるものだ。自由な賛成意見と自由な反対意見、ぶつかり合う多様なイデオロギーにまみれて人はアイデンティティを確立してゆく。「真実を見抜く力」それは自分自身で覚悟をしてその荒波に身を投じることでしか得られないものであるはずだ。
パノプティコン化するテレワーク
ある都市でペスト発生が宣言された場合に採るべき措置は、十七世紀末の一規則によれば次のとおりであった。
まず最初、空間の厳重な基盤割りの実施。つまり、その都市およびその《地帯》の封鎖はもちろんであり、そこから外へ出ることは禁止、違反すれば死刑とされ、うろつくすべての動物は殺され、さらにその都市を明確に異なる地区に細分して、そこでは一人の代官の権力が確立される。それぞれの街路は一人の世話人の支配下におかれて、その街路が監視され、もしも世話人がそこから立去れば死刑に処せられる。指定された日には、各人は家に引きこもれと命令され、外出が禁じられて、違反すれば死刑。世話人自身がそれぞれの家のとびらを外から閉めに行き、その鍵を持ってきて地区担当の代官に渡す、と代官は検疫の四十日間の終わりまで、鍵を預かる。(中略)
感染か、もしくは処刑か、なのだ。
(ミシェル・フーコー著『監獄の誕生-監視と処罰-』
バタイユによるとエロティシズムというものは設定された「禁止」を「侵犯」することによって生じるものであるらしい。
労働社会に於いて、組織は様々なルールによる「禁止」を制定している。セキュリティ、衛生面、円滑な人間関係の構築......例えば「私用デバイスを仕事に使ってはならない」「直帰は18時以降に限る」「仕事中に関係のないWEBの閲覧は禁じる」など。このように、ルールというものは組織である以上当然定められるべきものである。これらは秩序を保つためには必要なのだ。
しかし、人はそれを「侵犯」することに欲求を抱く。
不倫、ハッキング、万引き、窃盗etc....人はそれらにリスクがあることを承知の上でその禁忌を冒す。つまりはこのように一時的にこそ「禁止」を解除する行為こそがエロティシズムの源泉であるとしている。欲求はそのようにして生まれる。
現代社会に目を向けてみる。今現在、我々がリスクを承知で設定された「禁止」に対して「侵犯」しようとしていることは何か、それは外出である。猛威を振るうコロナウイルス(COVID-19)から身を守るべく「Stay Home」という標語に則った外出の自粛、そしてそれがテレワーク(在宅勤務)実施者にとって「サボる」ことへの欲求に繋がっていくのは当然の帰結である。
イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムが考案したとされる一望監視方式、通称パノプティコンというものがある。誰しも一度は耳にしたことがあるであろうこの有名な監獄システムは現代に合わせた姿となり、この急遽出現したテレワーク社会にも浸食している。
パノプティコンとは監房を円形状に配置し、中心に監視塔を建て、そこから監視官がぐるりと見渡すように各監房を監視できるようにした刑務所のことである。
このシステムが優れている点は、常に囚人を監視する必要がないというところにある。監視されている可能性があるだけで十分なのだ。囚人は実際に監視されているのかいないのかそれを察することはできない。つまり「監視されているかもしれない」という状況は「監視されている」状況とほぼ等しい関係となり、囚人が悪事を働く可能性はかなり低いものとなる。
パノプティコンは権力の主体を人から建物の構造へ移し替えることで権力を自動化し、永続させる装置(機械)へと変えている。これが権力の没個人化である。さらに恐ろしいことに、この装置は権力の行使者という点で代理をたてることを可能にしている。つまり監視しているのが政治家だろうが署長だろうがはたまた子供であろうが、発揮される力(監視が囚人に及ぼす影響)は不変なのである。
パノプティコン化するテレワーク
本題に戻ると、テレワークもこの原理を利用したものになりつつある。というのも配布されている社用PCは大方ログを取得する監視ツールがインストールされており、情報システム部門は常に社員を監視できる状況にあるからである。
先日取引先からのメールマガジンで紹介されていたテレワークのための監視ツールは、社員のPC画面をリアルタイムで録画及びモニタリングし、業務に関係のないサイトの閲覧や不必要に長い離席などを監視できるものであった。これだけ見るとぞっとする話であるが、実際はどうだろうか、確かにツールによる監視はしているかもしれないが、実際にはそれを誰も見ておらず、取り締まっていない可能性もある。つまりパノプティコン同様、社員に対していつでも監視されているのだと伝えるだけで同様の効果が発生するのである。つまり社用PCが監房となり、監視ツールが監視塔となるのである。そしてサボることを禁ずるという権力を行使するのはテレワークという仕組みである。上司が物理的に遠く離れていたとしても発揮される権力は一切不変であり、むしろ自動化すらもできるのである。
空気のように漂う権力
「権力」という言葉を聞くとどうしてもネガティブなイメージが付きまとう。それは太古の昔から一部の人間だけが発揮できる強大な力であり、マルクス主義の下では排除すべきものとしてプロレタリアから敵視されてきたものだからである。しかしフーコーはこのように権力を歴史的な視点で捉えるのではなく、ニーチェの「パースペクティヴ主義」的な視点でもって捉えるべきだとしている。パースペクティヴ主義というのは真理を主体から離れたもの(形而上学的な問い)とするのではなく、すべての真理はそれを語る者の視点から考えなければならないとする理論である。フーコーこの視点を権力の考察に取り入れることで独自の視点を生み出したのだ。それは権力というものは常に主体の内部から発生し、日常に張り巡らされているとする考え方である。例えば親と子や教師と生徒、上司と部下の関係など我々の生活のすみずみにまで権力は及んでいるとしている。一例を挙げると、新入社員は上司から教育(行動の強制)されるが、そうして獲得した知識や技能は数年後、今度は自分の部下に対しての教育として権力が発揮される。このように人々は簡単に権力を受け止め、また行使している。権力はどこにでもあり、空気のように漂っているのである。
パノプティコン的社会
学校という場であればより簡単にパノプティコン的な権力の発揮が可能である。例えば試験中、試験監督は受験者全員から見えないところ、つまり後ろに居ればよいのである。そうすれば受験者は不正のしようがない、なぜならすぐ後ろで見られているかもしれないからである。当然試験監督が後ろにいるかを確かめるために振り返るわけにもいかないので、簡単に不正を防止できるのである。
さらにこの仕組みは国家にも応用可能である。ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』などはパノプティコンを取り入れた社会を描いていると解釈できる。テレスクリーンと言われるモニターが常に人々を監視し、またそこから指示を出し、行動を強制している。そのようにして主人公のウィンストン・スミスは監視され、さまざまな「禁止」の中で生きていたからこそ欲求を抑えきれず禁忌を冒してしまったのだ......。
そしてテレワークを行う我々2020年の現代人もまた、監視から逃れる術を模索して欲望を満たそうとしている。どうせ監視などされていないと高を括り堂々とサボるのも、ウィンストン・スミスのように監視の脆弱性を見つけてこっそりとサボるのも自由である。ただし実態はどうであれ、監視(己の中に居る監視者も含む)と闘うこと、そしてサボりたいという欲望に抗うことはできないのだが。目に見えない権力はこうして我々を苛ませる。コロナウイルスがもたらす確変は果たして痛勤電車からの開放か、それともパノプティコンによる監視社会だろうか。それは「感染か、もしくは処罰か」と言い換えることができるかもしれない。
<自殺するほどマジでやっている>マーク・フィッシャーと鬱病
鬱病患者というものは、つねにあるひとつのことに自信をもっているものである。つまり、じぶんにはなんの幻想もない、ということに。
(わが人生の幽霊たち――うつ病、憑在論、失われた未来)
マーク・フィッシャーはイギリスの若者が政治に無関心であることについて、それは「再帰的無能感」の問題である、と述べている。「再帰的無能感」それは無関心でもなく、冷笑主義でもなく、事態に対してなす術のないことに対する「了解」のことだ。
2009年に出版されたフィッシャーの代表作『資本主義リアリズム』には「この道しかないのか?」というサブタイトルがつけられている。「この道」というのはもちろん資本主義のことであるが、彼が「資本主義リアリズム」と呼んだのは既存の資本主義に対するオルタナティヴ無き現状によって直面している無力感と閉塞感のことである。そこから脱するには「この道」以外の道を模索する必要がある、というのがフィッシャーの目指すところとなっていたわけだが、彼は2017年の1月に自ら命を絶った。自身を苛む鬱病と闘い抜いた果ての死である。
資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方が容易い
そう述べていたフィッシャーは自らの死をもってしてそれを証明してしまったかのようだ。
「フィッシャーが語る自らの鬱」
My depression was always tied up with the conviction that I was literally good for nothing.(私の鬱病はいつも、文字通り自分は何の役にも立たないという信念と結びついていた。)
フィッシャーは2014年の3月に『Good For Nothing(何の役にも立たない)』という表題のブログで自身の鬱病について以下のように述べている。
「私が自身の精神的苦痛について語るのは、それが何か特別でもの珍しいものであるからというわけではない。多くの鬱は個人という枠組みや心理学的な枠組みではなく、非個人的で政治的な枠組みを介したほうが理解されやすく、また闘えるという主張を支持しているからだ。」
この主張とは『資本主義リアリズム』の第四章「再帰的無能感、現状維持、そしてリベラル共産主義」の冒頭で語られる内容のことだ。
再帰的無能感というのは、イギリスの若者に共有されている暗黙の世界観であり、〔社会に〕普及した多くの病理と関係している。
鬱病は風土病である。イギリスの国営医療サービスが取り扱う疾患のなかで最も多いものであり、ますます若年層を苦しめている病気だ。驚くべき学生の数が、なんらかのタイプの識字障害を抱えている。現在、後期資本主義のイギリスにおいて「ティーンエイジャーである」ことが、もう少しで病気の一種として再定義されてしまいそうな状態だといっても過言ではない。この病理化によって、政治的な取り組みの可能性は予め除外される。そして、このような問題を自己責任化すること、すなわち、問題の原因が家族背景ないしは個人の脳神経系における化学物質の不均衡のみにあるとみなすことによって、社会制度にまつわる因果関係の追及は度外視されてしまう。(『資本主義リアリズム』)
自分はこの冒頭を読んだ際、自らの鬱病に関する考え方が根底から覆された気がした。どうしてこのような単純な事実に気が付かなかったのだろうという思いと共に、自らがこれまで社会の中で必死にもがいていたという経験は、世間の型に合わせるため、自らの変容を受け入れることができたという諦念(迎合)にすぎなかったのだと思い知らさせた。ではもしそれができなかったとしたら?善良な我々はまず自らを責めるはずである。鬱はそうして生れる。では鬱を解決するものは一体なにか、それは自分自身でもなく、気休めの言葉を投げかける精神科医でもない。問題は自己責任型のこの社会にある。
このようにしてフィッシャーは、我々を取り巻く資本主義社会がもたらす曰く言い難い憂鬱に的確な表現を与えてきた。ではその憂鬱を乗り越えるために進むべき道とは?しかし立ちはだかるその壁(資本主義)はあまりにも高く、そして硬い。その壁を壊すより、世界を終わらせることのほうが容易いのだ。つまり「この道しかない」のである。
『わが人生の幽霊たち』ではジョイ・ディヴィジョンというバンドとそれを取り巻く「鬱」についての考察がある。
まずジョイ・ディヴィジョンというバンドについて簡単に紹介すると、1976年にイギリスのマンチャスターで結成されたポストパンクを代表するバンドである。ピーター・サヴィルによる美しくもどこか静謐な闇を感じさせるアートワークを体現するかのように、そのサウンドは暗く、人々の不安を助長させ、哀しみをもたらす。そしてフロントマンであるイアン・カーティスによる絶望の歌声は多くの苦悩に喘ぐ若者を引き付け、カルト的人気を獲得した。無機質な演奏に合わせて吐き出されるイアン・カーティスの言葉は重く沈み込み、内なる苦悩そのものを体現しているかのようである。事実、彼は1980年5月18日未明、台所で首を括っている。それは23歳という若さでのことである。現場のターンテーブルにはイギー・ポップの『Idiot』がかかりっぱなしであった。
イアンは、まるで若いうちにもう一生を生きてしまっているかのような印象を与えた
妻デボラ・カーティスのこの言葉をもとに、ジョイ・ディヴィジョンを聴くとその意味がわかる。地の底から這いあがってくるかのような深い絶望そのものであるイアン・カーティスの声は、とても23歳の若者から発せられているとは思えない。その絶望の根源こそ「鬱」である。
マンチャスターの労働者階級出身である彼らは、1960年代のイギリス社会がもたらした近代化という断絶の中で青春を送ってきた。「喪失」が人々を苛み始める時代である。その「喪失」について、ギターを担当していたバーナード・サムナーは以下のように答える。
皆がジョイ・ディヴィジョンの音楽の暗さを指摘しますが、22歳になるまでに、僕はかなりの数の喪失を経験していた。暮らしてきた場所とか、幸せな記憶が詰まった場所、そんなものはもう全部なくなってしまいました。残ったのは化学工場だけです。いまではもう気づいています、幸せだったころにはもう戻れない。だからぼくたちの音楽には、そういう空虚があるんです。
社会の変化が生む憂鬱というのは明確な絶望の原因がない。そうして生れる鬱病患者はその空虚さに於いて自身に絶望するが、空虚であるがゆえにその実態はない。そして実態なき者に居場所など存在しないのだ。そうした意味で暗く憂鬱なジョイ・ディヴィジョンは絶望の顕現であり、死の必然性を示す真実そのものであったわけである。
自殺するほど「マジでやっている」
自殺は正当性を保証するものであり、その人物がどれだけ<マジでやっている>かを示す、もっとも確かなしるしだった。自殺は人生を、その日常的な窮地も、その軋轢も、その葛藤も、その幻滅も、未完成な仕事も、「空費と激情と熱意」も、そのすべてをふくめて、冷たい神話へと変える力をもっている。 (『わが人生の幽霊たち』)
多くの自殺者は何かをやり残したままだ。まるでテレビをつけっぱなしにしたまま買い物にでも出かるように、彼らはこの世界を後にする。マーク・フィッシャーも、イアン・カーティスも、妻子を残し、そして完遂すべき多くの仕事を残したまま死の道を選んだ。彼らは鬱に負けたのだろうか?おそらくそれは違う。鬱に対して<マジでやっている>ことを示すために死を選んだのだ。ただそれは逆説的に、後期資本主義という巨大な閉塞感による鬱が、人を死に追いやるほど<マジ>なものである証拠でもある。このようにして、資本主義のオルタナティブは神話の世界へ昇華されてしまった。ジル・ドゥルーズは自宅の窓から身を投げ出して死んでしまったが、我々がすべきなのは死せずして窓の外へ身を投げることである。落下し続ける我々を待ち受けるものは何か、それは『資本主義リアリズム』の締めくくりのように、どうにもならないと思われた状況からこそ、突然にあらゆることを再び可能にする何かである。