ドナルド・トランプ vs Twitter 真実の裁定者をめぐる対立

トランプ大統領 vs Twitter

トランプ大統領が怒り狂っている。事の発端は米Twitter社がトランプ大統領のツイートに「ファクトチェック(事実確認)」のラベルをつけたことだ。選挙において郵送での投票は不正を防げないのだと主張するトランプ大統領のツイートに対して「Get the facts about mail-in ballots(郵送投票についての事実を知ろう).」とのラベルを張り、リンク先としてCNNの解説へ誘導していたのだ。

 

 このような米Twitter社の対応に関してトランプ大統領は「大統領選への介入だ!」と激怒、ソーシャルメディア等のプラットフォームに与えられた法的保護の一部を制限、または廃止することを目指す大統領令に署名した。問題のツイートから僅か2日後という恐ろしいスピード感である。

もともとトランプ大統領SNSを「21世紀の公共広場」として民主主義を体現するための開かれた場所であるとし、通信品位法230条によりプラットフォーム事業者が公序良俗に反した内容の投稿を削除しても責任を負わないという大きな裁量権を認めていた。ただ、結果として、プラットフォーム事業者側が提供したくない情報については、削除しても良いと解釈できる状況が生まれてしまっていたのである。選択的な検閲を可能とするこの通信品位法230条に関しては大統領選における民主党候補のバイデン議員も過度な免責を与えるものだとして改正を公約に掲げるなどしているため、党を超えてこの動きに同調する可能性もあり、Twitter社は窮地に追い込まれかねない状況となっている。

Twitter社のCEOであるジャック・ドーシ―の意見は以下のようなものである。

 

 

ファクトチェック:会社としての行動に最終的な責任を負う者がいる。それは私だ。どうか従業員をこの件に関わらせないで欲しい。私たちは世界中の選挙に関する不正確な情報や論争のあるものを指摘し続ける。そして間違いを犯した場合はそれを認める。

 

この発言はTwitterがただのプラットフォーマーとしての「箱」でないことを示した形である。

 

では世間の反応はどうか、世論的には排外主義的なトランプの政策を非難する人々からは米Twitter社の判断は権力に怯まない勇気ある行動だと賞賛されている一方、表現の自由を脅かすものだとしてその行動を危惧する意見も多い。

※日本ではTwitter Japanが政府に都合の良い存在になりつつあると指摘し、その対比として政府に寄り添わない米Twitter社の対応を称賛する声もある。しかし立ち位置や主義主張は完全に逆とは言え、やっていることは同じ「政治介入」である。

 

 しかしそんな中、トランプに思わぬ援軍が現れた。それはfacebook社のCEOマーク・ザッカーバーグである。ザッカーバーグはFOXのインタビューで今回の件に関して「私企業が真実の裁定者になるべきではない」と述べ、Twitter社の対応を非難した。

 

facebookという異端

リベラルな思想を信条とし、反保守的な色合いが強いシリコンバレー界隈ではfacebook社は異端の存在である。というのも役員を務めるピーター・ティールは熱烈なトランプ支持者であり、それは2016年の政権移行チームのメンバーにも選出されているほどの存在だからである。彼はいわゆるPayPalマフィアの「ドン」であり、facebook社の初期投資家であるので、その影響力は計り知れない。この事実に関して「facebook社は思想や信条にとらわれない主義」である故のものだとしている。結果的にピーター・ティールの存在という影はあるにしろ、会社としての主義主張を尊重すればザッカー・バーグの主張は多少のバイアスがかかっているが当然のものであるように思える。その事実を裏付けるかのように、facebook社はポストされたデマに対しては一切削除などの対応を行っていない。それは活動家であり電子フロンティア財団創始者であったジョン・ペリー・バーロウが1996年に通信品位法に反対する表明として起草した「サイバースペース独立宣言」に忠実なものである。

 

我々が作りつつある世界はどんな人でも入ることができる。人種、経済力、軍事力、あるいは生まれによる特権や偏見による制限はない。我々が作りつつある世界では、誰もがどこでも自分の信ずることを表現する事が出来る。それがいかに奇妙な考えであろうと、沈黙を強制されたり、体制への同調を強制されたりすることを恐れる必要はない。

(木澤佐登志著『ニックランドと新反動主義』より『サイバースペース独立宣言』引用)

 

 

※しかしfacebook社は2016年の大統領選挙の際に5000万人もの個人データを流出させ、その上トランプ大統領へ有利になるよう利用されたという事件を引き起こしている。この事件そのものは第三者による不手際であるので一概にfacebook社による政治的意図を持って引き起こされた事件とは言えないが、一部の人々からは今回のTwitter社に対する発言は「ブーメラン」であると指摘する人もいる

facebook社は230条の改定や廃止自体には反対の立場である

 

真実の裁定者など存在しない

最後に自分の主張をしておく。自分はTwitter社の対応が正しいとは思えので、全面的ではないがザッカーバーグの意見に賛成だ。

長らく日本のインターネットユーザーは思想を持たないとされていたが、近年は反体制派を主張するユーザーが増えてきている。そのような潮流もあってか、今回の米Twitter社の対応を称賛する声が大きいが、それはTwitterを反体制的な主張を示すアイデンティティの拠り所としてのツールと捉え、この事態を容認するというかなり危険な考えであると感じる。

一部の人々は「デマを容認してはならない」というが、それは「誰かがその情報がデマであるか否か、判断する必要がある」という言い換えになる。つまり誰かが「神」になる必要がある。それは誰か?そして今、Twitter社が「神」のように振舞おうとしている。果たしてこの状況は公平だろうか。デマであると判断できない人のために啓蒙を行うことはプラットフォーム事業者の役割として正しいのだろうか。自分はそうは思わない。真偽を判断するのは常に自分人身である必要があり、人は何が正しく何が間違っているのかを見抜くことを怠ってはならない。というのが僕の主張である。デマをデマと見抜けない人々に勝手な判断基準を設けさせる行為は将来的には思想誘導を可能にする危険な行為へと繋がりかねないのではないだろうか。Twitter社がやろうとしていることはトランプ大統領Twitter社の位置関係を逆転させようとしているだけの行為に思える。これはもはや権力vs良識なのではなく、権力vs新たな権力の争いでしかない。

トランプ大統領の通信品位法230条改定は「オープンな議論を約束するもの」としているが、表現の自由を権力で圧殺するような危険な方向へ向かいかねないことも補足しておく

 

ただ、Twitter社は議論を活発化させることに成功したともいえる。それは真偽を判断する力へ繋がるものだ。自由な賛成意見と自由な反対意見、ぶつかり合う多様なイデオロギーにまみれて人はアイデンティティを確立してゆく。「真実を見抜く力」それは自分自身で覚悟をしてその荒波に身を投じることでしか得られないものであるはずだ。