村上春樹が描く青春との決別 『風の歌を聴け』

 

 

風の歌を聴け』言わずと知れた村上春樹のデビュー作である。1979年の4月、この作品で群像新人文学賞を受賞し、その小説家としてのキャリアがスタートする。今やノーベル文学賞の候補に挙がるほどの作家の偉大なる一歩。

そして今この作品を読み返し、改めてその強烈さに打ちひしがれている。良い意味でも悪い意味でも、やはりこんな作品は村上春樹にしか書けないのであり、見渡す限りの地続きなこの世間とは断絶した奇異な世界観がある。それは1960年代後半から70年代前半という地球規模の強烈なエネルギーに対してのアイロニー。主人公の「僕」がため息をついて奇妙な冗談を口にするだけで世間のイデオロギーは矮小化され、それは常に必死で真剣であろうとする人々へのシニカルなアンチテーゼのようにも見えてくる。故に「こんなものは文学ではない」と酷評する人々の気持ちも十分に理解できるが、一体どこにそこまで人を引き付ける要素があるのだろうか。

 

風の歌を聴け』は意味不明か?

Googleで「風の歌を聴け」と検索すると続けて「意味不明」と表示される。これにはつい笑ってしまったが、それだけ多くの人がこの作品を読んでそう思ってしまったのだろう。しかし何がそう思わせているかは実に単純で、それは細かく切断されたパラグラフがもたらす明確なストーリーの欠如と未解決の謎によるものである。

 

以下、Wikipediaのあらすじ。

絶版になったままのデレク・ハートフィールドの最初の一冊を僕が手に入れたのは中学3年生の夏休みであった。以来、僕は文章についての多くをハートフィールドに学んだ。そしてじっと口を閉ざし、20代最後の年を迎えた。

東京の大学生だった1970年の夏、僕は港のある街に帰省し、一夏中かけて「ジェイズ・バー」で友人の「鼠」と取り憑かれたようにビールを飲み干した。

僕は、バーの洗面所に倒れていた女性を介抱し、家まで送った。しばらくしてたまたま入ったレコード屋で、店員の彼女に再会する。一方、鼠はある女性のことで悩んでいる様子だが、僕に相談しようとはしない。

彼女と僕は港の近くにあるレストランで食事をし、夕暮れの中を倉庫街に沿って歩いた。アパートについたとき、彼女は中絶したばかりであることを僕に告げた。

冬に街に帰ったとき、彼女はレコード屋を辞め、アパートも引き払っていた。

現在の僕は結婚し、東京で暮らしている。鼠はまだ小説を書き続けている。毎年クリスマスに彼の小説のコピーが僕のもとに送られる。

 

これはあまりよくないあらすじの紹介である。鼠の人間性に全く触れられていないし、そもそも『鼠はまだ小説を書き続けている。』との一文が何の脈絡もなく意味不明である。

 と言いつつも読者はそんなこの作品の「物語」や「真意」などいちいち考えて真に受ける必要はない。なぜならこの作品は村上春樹流の「青春との決別」という虚しくも悲しいテーマを、まさにその主人公のすかした口調そのままに「遊び」として表現させたものだからだ。だがその一貫して見えぬ主人公の本心は事の深刻さから目を背けているように見える。いや、作中に深刻な出来事や事実などが現れるわけではないのだが、ふと正気になると気が沈んでしまいそうな事実が背後に潜んでいるというような、そんな空気がどことなく漂っている。徹底されたアイロニーがすべてを「大した事ではない」ものに押しやっているのだ。それはこの作品を覆っている「時代性」に対する作者の眼差しに他ならない。これは「時代」の小説なのである。

 

「それはどんな時代であったか」

この作品で描かれる「時代」を掘り下げてみる。

この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終わる。

日本では1960年の安保闘争から1965年の第一次早大闘争を経て、学生運動は最盛期を迎えたが、1969年1月、東大安田講堂事件から学生運動は下火となり1972年2月のあさま山荘事件をきっかけにその新左翼的闘争は終焉を迎えた。そして世界では泥沼化するベトナム戦争反戦運動、黒人解放運動やキング牧師の暗殺で時代は混迷を極めるが、プラハの春に端を発するソ連共産主義体制の多極化を経て、デタントと呼ばれる緊張緩和状態へと向かうことでその混乱は新冷戦期までは一応の収束を見せるが、第二次世界大戦後に生成された巨大なイデオロギー同士のぶつかり合いの後で、このように様々な出来事をもとにして細分化されてゆく過程の中での混乱の時代である。それは『風の歌を聴け』の続編であり第2作目の『1973年のピンボール』で以下のように語られる。

何人もの人間が命を絶ち、頭を狂わせ、時の淀みに自らの心を埋め、あてのない思いに身を焦がし、それぞれに迷惑をかけあっていた。一九七〇年、そういった年だ。もし人間が本当に弁証法的に自らを高めるべく作られた生物であるとすれば、その年もやはり教訓の年であった。 

そして半世紀が経過した現在、 世界は再び弁証法的に「対立の果て」の平穏を夢見るかの如く皆が頭を狂わせている。反動主義、北欧型社会主義の幻想、ポピュリズム、多様性、フェミニズム、そしてコロナウイルスで瓦解しつつある新自由主義の夢。アイロニカルなこの作品が現代に対しての回答を持ち得ているとは思えないが、目まぐるしく移り変わる世の中に対しての「視点」的な共感は大いに持ち得る。

 

「人はいつ青春を終わらせるのか」

様々な人間がやってきて僕に語り掛け、まるで橋をわたるように音を立てて僕の上を通り過ぎ、そして二度と戻ってはこなかった。僕はその間じっと口を閉ざし、何も語らなかった。そんな風にして僕は20代最後の年を迎えた。

「30歳成人説」の本質は、この作品の冒頭で語られる独白に凝縮されている。

20代、それは大声で叫ぶ人々の声に耳を傾けつつも、自らはその無力さ故に口をつぐんでいるしかない時代である。もちろん自ら能動的に動き、道を切り開くものもいる。しかし人生の各フェーズに敷かれたレールをきっちり走ることを強いられる脅迫的な現代に於いては大多数が沈黙を貫き通している。まるで騒がしく回転するメリーゴーランドをただ黙って見つめているかのようだ。

30歳成人説(30さい せいじんせつ)とは日本の民法成年を満20歳と定めているのに対し、「精神年齢でいけば今の30歳は、昔の20歳くらいにあたる」という考え方のことである。作家村上春樹が唱えている。

村上春樹は「自分が本当にやりたいことなんかそう簡単に分かるものではない、30までは色んなことをやって30になってから人生の進路を決めればよい」という趣旨のことを述べている。Wikipediaより引用)

 

太宰治は1941年、32歳の時に『東京八景』を執筆し、己の青春に別れを告げた。それから約40年後、村上春樹は29歳の時に執筆した『風の歌を聴け』によって青春を終わらせている。それからさらに40年が経過した今、この作品は「アラサー」を迎えた人々へ何を語るのか。実態のない過去に対する慰めか、これからの決断か、福音にも成り得るが変容する余地を失った自らを葬るための小説にも成り得る。 

 

アンチ村上春樹

 村上春樹を嫌いだと公言する人は多い。理由は人それぞれであるだろうが「芸術性が低い」「純文学の文体ではない」などといった抽象的で独りよがりな批判もさることながら「やれやれ系」的な一人称主人公の口調を子馬鹿にする風潮によるところが強い。

※「やれやれ系」のすかした口調による文体は村上春樹が敬愛するカート・ヴォネガット・ジュニア作品の浅倉久志伊藤典夫の訳に影響されてのものである。これらの作品を読めばその影響が如何に強いか簡単に理解できる。

しかし僕は形式に捕らわれた好き嫌いは勿体ないことだと言いたい。実際に自分は中学、高校の頃に村上春樹作品を何周もするほどに読み耽っていたが、大学生となり様々な作家に出会うに従い、その存在を完全に放り投げた上に、上記したような世間に流布するつまらぬ批判すらも口にしていた。ただそれから5年以上の歳月を経て、今再びその面白さに取りつかれている。それは現代を渦巻くあまりにも多すぎる情報量と出来事の連鎖について行けぬ自分への慰めであり、許しを請う行為でもあるように感じるからである。混乱の世の中を俯瞰して「やれやれ」と口にすることくらい何も悪いことではないはずだ。

 

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2004/09/15
  • メディア: 文庫